誰にも訪れる高齢

私には大正4年生まれの母親がいた。毎日のかかわりの中で、如何にを幸せに過してもらうかに、 心をくだく毎日であった。去る2月3日、黄泉の国に旅立った。享年97歳。このページも今回の投稿をもって終わりに する。お立ち寄り頂いた皆様、有難うございました。

最終回K・・・2011年2月3日旅立った。享年97歳であった。


高齢者の肺炎


肺炎、高齢者にとっては命取りの病気だった。

新しい
肺のレントゲン映像は相変わらず真っ白であった。酸素を吸入しているが、母親の酸素を吸う力が弱く酸素の濃度を示す数値は低いままだ。点滴で薬剤を体の中に送り込むが効果はあらわれない。正月1日に病室を訪ねたが私達の問いかけにも反応は若干鈍い要に思う。 3日後ぐらいの事だ。夕方見舞いに行くと鼻の中に管を通している。食事が殆んど摂れなくなり、胃の中に直接流動食を流し込む食事に切り替わった。だがその頃は意識も確りしており、私たちが「帰るよ」というと、今度来る時はアンパンを持ってきてなどと食べ物への執着は強かった。手は点滴の管或いは鼻の中に入れている管を外してしまうので、指のない手袋をした。そしてベッドの柵に固定された。
快方への兆しは殆んど無く、入院していた関西電力病院の了解を取り、2011年1月13日リハビリテーション病院に転院した。
転院先の病院で、関西電力病院からのカルテを元に、主治医から母親の容態についての説明があった。その説明によると何種類かの傷病があり、胸水、慢性心不全、低蛋白血症などであった。
リハビリテーション病院での入院生活が始まった。今後の治療方針など懇切に説明を受け、安心して入院生活をゆだねた。そして我々家族も病院側の意向に従った。
26年ぶりの寒さといわれた1月も終わり、梅の花が咲く2月になった。
2月3日朝9時半。仕事中、私の携帯電話がけたたましく鳴った。病院からの電話であった。母親の病態の急変の知らせであった。兄弟たちに連絡を取り病院に駆けつけた。病院へ駆けつけたのは1時間後の10時30分。母親は10時10分に息をひきとっていた。 急性呼吸不全との事であった。眠っているように安らかな顔をしていた。
緊急入院をしたのが2010年12月5日。そして約2ヵ月後の2月3日帰らぬ人となった。まったく呆気なかった最後であった。だが数え年97歳の長寿を全うした。生前は我侭な母親であったが、今となっては懐かしい思い出ばかりである。
健やか・お年寄り・笑顔J・・・2010年12月

高齢者の肺炎


肺炎、高齢者にとっては命取りの病気だ。


当日は日曜日。日曜日の早朝の病院はがらんとしている。だが救急病院とあって看護婦、看護師は走り回っていた。
早速検査が始った。レントゲン写真の結果肺炎と判明。そして結核の疑いもあり。との当直担当医の所見。即刻入院で点滴を開始した。結核の疑いがあるので個室での隔離状態。付き添いの家族もマスク必須。結核検査の方は2〜3日間の痰の採取で判断するという。


3回目の痰の検査で肺結核の疑いは晴れた。だが・・・

《肺炎球菌性肺炎》

12月5日(日曜日)の未明、時間は午前2時少し過ぎ。電話がけたたましく鳴った。飛び起きて電話口に出た。「○○消防署の救急隊員です。緊急通報があり只今駆けつけました。」との電話口の声。最初は寝ぼけていて要領を得なかったが、暫くして事の緊急性に気づく。近くい住む95歳の母親が緊急ブザーのボタンを押したのだ。
母親宅へは2分ほどの距離。とり合えず簡単に身づくろいして母親宅に向かう。消防の救急隊員が3名母親宅に入っていた。 母親曰く。夜中寝ていた布団が、グチャグチャになっていたので、直していたら胸が苦しくなってきたとの訴え。ストレッチャーの上に乗り、救急車の中に。
早速救急隊員は搬送先の病院を探し始める。すぐ何れかの病院に搬送してもらえると思ったが、なかなか搬送先が決まらない。どうやら高齢者という事で、どこの救急病院も受け入れてくれない様子。約1時間半後の午前3時頃にようやく搬送先が決まる。しかし条件付。脳神経外科なので内科医はいないとの事、再度他院への搬送を条件に受け入れてくれた。その脳神経外科でCTを撮る。CTの画像の結果片方の肺が真っ白。素人の私にもはっきり分るほど肺が白い。肺炎か結核の疑いありとの事で再度救急隊員が内科のある転送先を探し始める。午前4時過ぎようやく受け入れ先が決まる。脳神経外科からは約20キロほど離れた○○病院。走行中の救急車の中で、ストレッチャーに乗っている母親は「胸が痛い。」と訴えていた。その病院に着いたのが午前5時前。
月曜日の朝に肺炎の種類が判別。「肺炎球菌性肺炎」との事で、高齢者の肺炎は殆んどがこの種の肺炎という。 「球菌」自体は日常誰もが体に持っているらしい。抵抗力のある健常者には殆んど発症しないとの事。だが免疫力がおちた時に感染するという。抵抗力のない高齢者は一寸した風邪などの後に発症する。毒性の高い菌となり感染するわけだ。 治癒も50%ほどといい、数十パーセントの患者は死亡するとの事だ。
治療は酸素吸入と点滴での薬物投与だ。しかし高齢者への酸素マスクは難しい。煩わしさで酸素マスクをすぐ外す。点滴の針は無意識のうちに抜いてしまう。おとなしく治療をさせてくれれば付き添いなど不要なのだが、邪魔だとばかりすぐ外す。それを防ぐ為に家族の付き添いが必要になるのだ。そして個室代は一日9000円〜12000円。一般人にとても払える金額ではない。
入院してその晩に暴れだした。翌朝病院の主治医から電話が入った。不穏な行動をとり手のつけようがない、すぐ来てくれとの事だ。丁度車で病院へ向かう途中だった。我が母親とは思いたくないような格好で、病棟の廊下に出て看護婦に食って掛かっていた。その場は私が何とかなだめ部屋に戻す。そしてその一日後再び暴れだした。「治療などしない」といって。 母親が落ち着いた後主治医に呼ばれた。次にこの様な不穏な自体になったら「強制退院をお願いしますから」と釘を刺された。 鎮静剤及び手足等を括りつけ、治療するようなことはしたくないので、家族が確り見張ってくれとの事だ。高い個室代そして不眠不休の付き添いが始った。完全なる老老介護だ。さて体がもつものやらと不安に駆られる。
入院して4日目頃より急に静かになる。どうやら足の自由が利かなくなったようだ。一人でベッドから降りられなくなった様子。5日目、痰を吐く力も弱くなり、痰を取ってくれと訴えるようになる。吸引で取ってもらうがすぐ痰がからむようだ。しきりに胸の苦しさを訴える。呼吸も随分と浅い。食事が大変だ。食べたものが気管を刺激し咽かえる。水分を補給する時も咽かえる。頻繁な誤嚥で肺炎の快方は程遠い。食事が中止され点滴で栄養補給に切り替わる。入院一週間を過ぎて肺のレントゲン検査をしたが快方には程遠い画像との事だ。
《暫く様子を見て続きを書く》
お年寄り・笑顔・健やかI・・・2009年6月

暑い夏が直ぐそこまでやって来た。暑い暑い夏の到来だ。

「熱中症」

には要注意だ。

緊急通報システムの設置。手続きをとればホームヘルパー等を介して、行政で設置してくれる。

《熱中症》

高齢者には苦手な蒸し暑い季節となってきた。若い人達でもこの蒸し暑い時期、体調管理には 苦心するのに、高齢者にとっては体調管理が容易ではない。世界の中では比較的裕福な日本、 ほとんどの家庭は冷房装置を供えている。この冷房装置は冷をとるのには最高の機械なのだが 、使い方を間違えれば病気を作る元にもなるのだから要注意だ。

日中の温度が30度を越すようになると、「熱中症」が囁かれる様になる。昨年も高齢者を中心に 何人かの人々が亡くなった。この「熱中症」は太陽の日の光を直接浴びない家の中にいても、発症して しまうのだから厄介だ。
太陽の下での「熱中症」は、陽射しに晒し過ぎて体力を使いすぎ汗を沢山かく。その結果脱水症状 を起こし、「熱中症」になる。
では、家の中にいる高齢者が「熱中症」に何故掛かるのだろう。それは家の中の蒸し暑さが原因 するのだ。蒸し暑い部屋の中で布団などに横になっていると、汗を大量に掻き体力を消耗する。 その結果が「熱中症」へと繋がるのだ。高齢者の体は体温調節を上手くできない。 そこで登場するのがエアコンだ。体温調節の手伝いの手段としてエアコンを使う。エアコンで部屋の 中の湿度を除去し、温度管理、湿度管理をするのだ。
だが冷やし過ぎは禁物である。先に書いたように冷やし過ぎると体温管理どころではなくなる。 室温管理は家の人なり、また付き添いの人なりが、こまめに調節してやらなければならない。
日本の住宅は木造住宅が多い。アパート、文化住宅、長屋などはほとんど木造だ。エアコンも寝室 に一台だけ設置と言う形が一般的だ。トイレ、炊事場などはエアコン等の設置している家庭は少ない。 トイレ、炊事場等を行き来出来る高齢者は特に注意が必要だ。寝室とトイレ或いは寝室と炊事場など、 温度差が大き過ぎるからだ。体温調節の上手くいかない高齢者にはこの温度差も大敵だ。
では「熱中症」になってしまったらどの様な処置が必要なのか。 周りに居る者にできる事はまずエアコンの効いたところで、衣服をゆめるのが良い。特に襟元など。 近くにエアコンなどが無い場合は、団扇などで早急に体を冷やしてあげる様な努力をする。アイスノン 等があれば脇の下等に入れのもよい。 速やかに病院などに連れて行く。躊躇せずに救急車を呼ぶ。移動させるのに人手が必要と思えば大声 で助けを呼ぶ。 汗をかいていないとしても、体温が高くなくても高齢者の熱中症の可能性はある。脱水していれば、 汗をかくことが できないからだ。
掛かりつけの医者は絶対に必要だ。掛かりつけの医者を決めておこう。
笑顔・健やか・お年寄りH・・・2008年1月

骨の密度が薄くなる


ある朝の早朝、突然足の痛みを訴える

病名「偽痛風」
昨年の夏頃より足の運び具合が気になりだした。90歳を越えた高齢者だから足の運びが 遅いのは致し方ないが、だからと言って放置する訳にはいかない。
1月のある朝の早朝、右足が痛くて動かす事ができないと訴える。寝ていて寝返りも出来ない 状態だ。運悪く当日は日曜日だ。以前股関節を痛めた時に処方してもらった錠剤が残っていた ので、その錠剤を応急的に服用させた。その錠剤の効果があった様で夕方には多少痛みも 薄らいだ様子だった。だが歩く事は殆んど不可能で、トイレなどはオムツを使わざるを得なかった。 翌日病院に連れて行き整形外科の診察を受けた。レントゲン撮影の結果の診断は「偽痛風」との 事だった。「偽痛風」、余り聞きなれない病名だ。整形外科の医師の説明によると、この「偽痛風」 という病気は、高齢者の体の関節に或る日突然痛みとなって発症する病気らしい。
今回痛みとなって現れた部位は、膝の「半月版」の擦り合わせ部分の軟骨が、石灰化しているという 事らしい。要するに軟骨が変形してしまった状態だ。骨と骨が擦り合うので炎症を起こしたのだ。
治療法は投薬と貼り薬の方法しかない。2週間分の薬を処方して貰い、暫く様子を見る事にした。 投薬を受けて3日目頃より随分楽になった様子だ。右足を徐々に動かす事が出きるようになったきた。 曇りがちだった表情も少しずつ明るくなってきた。後は日にち薬だ。
投薬を受けてから1週間後には、ぼちぼちでも歩けるようになってきた。 回復の度合いを見ながら、今まで自分でしてきた事をぼつぼつでもやるように仕向ける。
何もかも取り上げてしまって、ボーっとさせてしまっては駄目だ。痴呆症を加速させるからだ。 自分の使う薬の管理等は極力本人にさせる。その他簡単な炊事、洗濯などもだ。
仏壇の守りも当然母親の役目だ。本人もその心算で「私がやらなければ」の意気込みで頑張っている。
高齢者を抱えている家庭は、いつなんどき急病が発生するかも分からない。 痛みなどは色々の種類が有る。内臓などの痛みは救急車などを呼んで、即刻対処しなければ ならないような場合が多い。
その他外科的な痛みも多々ある。今回の痛みは以前処方してもらった整形外科の痛み止めが 役に立った。それも普段から高齢者の状態を把握していたからできた事だ。常日頃の観察は大事だ。 だが素人療法は危険だ。可能な限り病院に連れて行くことだ。
笑顔・お年寄り・健やかG

お年寄りの肩こり


2005年12月
頭が痛い。頭が重たい。体が重たいとよく言う。
最近肩の凝りをよく訴える。今年の冬は例年に無く特に寒さを感じる。その寒さも 肩こりの要因になっているようだ。何せ寒いからと言って重ね着をしている。 身に着けている肌着、上着、ズボンなど全て合わせると相当の重さになる筈だ。 それに寒さの為、肩を丸めてコタツに入っている時間が長い。運動不足になり そして血行が悪くなる。その結果肩凝り等を起こす。
運動不足を緩和するには、現状では歩く事が最もよい解決策のようだ。と言って 外に出て歩かすには今の気温は寒すぎる。おのずから家の中での散歩のかたちに なってしまう。其れはそれで計画的に歩かせれば、結構な運動量になる筈だ。 気を付けなければいけない事は、家の中にはつまずき易い物が結構ある。畳の合わせ 目、襖の敷居、コタツの掛け布団の端など等、出来るだけ整理しておく様に、注意が 必要だ。90歳にもなると足が上がらない。すり足で歩くので段差は禁物だ。 工夫して可能な限り段差を無くそう。
部屋の中は出来るだけ暖かくしてあげるようにしよう。暖かくしてあげれば着衣も 減るはずだ。極力薄着をして貰うようにすれば、体は多少なりとも楽になると思う。 「肩凝り」薄着をして肩凝りが直るというものでもないが、体にはプラスになる。 部屋の温度を適温に保ってあげれば血行もよくなる筈だ。 肩を揉んであげるのも血行を促すのには重要な方法であると思う。頭が重たい時 など肩を揉んであげると気持ち良さそうにしている。実際肩もみをした後は気持ち 良さそうにしている。また肩を揉みながら、世間話などして上げるのも、気持ちを リラックスさせる。リラックスと言う事はストレスの軽減に大きな役割をする。 年老いた人との触れ合い、最も大事な事だと思う。
お年寄り・健やか・笑顔F・・・

お年よりの体の調子


2005年9月

運動不足による便秘

食事での改善

かかり付けの医者との連携

・《便秘》・

年々温暖化の影響で、夏の気温の上昇が著しい。 夏の暑い時期屋外へ出る時間が限られてくる。時間的にも朝方の日の上るまでと 夕方の日が沈んでからの時間に限られる。朝は5時位から6時位まで。夕方は6時半位から 7時半ぐらいまで。いずれの時間帯も余程上手に活用しなければ、直ぐ日が高くなったり 夕方は早く薄暗くなったりする。必然的に屋外への散歩時間が減り、運動不足による便秘も充分考えられる。自然が相手の事であるから、最小限与えられた時間を最大限利用する努力をする。その事は本人に充分説明し理解してもらう。 適度の散歩(運動)は腸の煽動の改善の手助けになると思う。天候の都合で屋外の散歩が 出来ない時は、家の中で適度に動いてもらう。家の中は狭いので動き易い様、予め 片付けておく事が、つまづいたり、転んだりする事の防止になる。
毎回の食事量が減少すると便秘の要因になると思う。規則正しい食事を毎回取るように 仕向ける。年と共にあっさりした食事になりがちなので、排泄量も少なくなる。 意外と便の量を気にする。その気にし過ぎが心因的な便秘に繋がって来るのではないだろうか。
乳製品は欠かさず摂取するように仕向ける。特に牛乳は便秘等に良い影響を与えるのでは ないだろうか。その他水分補給は大事な事だ。
食事毎に飲む薬と、ひどい便秘の時に飲む薬を分けて処方して貰う。勿論医師の指示通りに扱う事は言うまでもない。 市販品の便秘薬は高齢者には合わない場合がある。市販品の便秘薬はできる限り避けた方がよいと思う。
高齢者になるほど、ひどい便秘に陥り易い。その様な状態になる前に、回りの者が充分気を つけてあげよう。年寄り自身がその様な事を問い掛けてくるので、良く聞いてあげて適切に 対処してあげよう。 この問題については、気がついたら書き記していく。
尚、このページは管理者の思い込みもあるので鵜呑みにしないで欲しい。
健やか・笑顔・お年寄りE

お年よりの趣味

仕立物

物作り

作品・小銭入れ(がま口) 見栄えは別として一生懸命の作品。皆さん写真(一寸ピンぼけ)見てやって下さい。

昔取った杵柄の再現

・《母親の特技》・

私の母親は「和裁」の職歴が約45年間有る。引揚当時は父親は ほとんど職がなくその日の食事にも事欠いた時期があった。その急場を救ったのが 母親の和裁である。記憶では私が5歳頃から始めたのではないかと思う。 当時ではそう高価な仕立物はなかったという。浴衣とか子供の普段着などだったらしい。 だから縫い賃も安かったという。お金の代わりに食料で貰った事もあるという。暮などは 明け方まで夜なべをしていたのを覚えている。人一倍頑張ったようだ。 大阪に越して来てからでも和裁を続け69歳位まで呉服屋さんの仕立物をしていた。 一振り140〜150万円の訪問着も手掛けたようだ。その名残が端布として今も大事に 持っている。正絹物が多い。
6〜7年位になるだろうか、使い慣れた「鋏」「針」で「がま口」(小銭入れ)を作り始めた。 ご近所の娘さん達に、作ったものをあげている様だ。目的は自分のボケ防止と言って いる。(材料の調達など出来うる限り協力してあげる。)ミシンは使わない。手縫いなので糸目に気をつけると言う。 出来るだけ糸目を小さく、そして糸目幅を揃える。出来具合の良し悪しに影響すると言う。

・《素材の準備》・


以下のものを揃える。衣料品等扱っている、スーパーに行ったら大方のものは揃う。 まず材料は以下の物だ。写真で紹介する。端布の色、模様に合せて縁取り、ファスナーの色、 模様を決めよう。
・・材料・・
・ファスナー------20cm程度の長さのもの、本体の布柄に合せる。
・縁取り------本体の布柄に合せる
・端布------好みの柄布を揃える。

・・製作過程・完成品・・

写真を大きくして見て下さい。


作り方
@裁断・・・布柄に合せて、大きさ形を決めて
A芯布を添える・・・表布に見合う芯布の厚さ等決めて表布と同時に裁断する。その際、 しつけ糸で留めておくと裁断し易い。裁断時のコツだ。
B縁取り・・・カラゲ縫い。表側
C縁取り・・・カラゲ縫い。裏側
Dファスナー・・・をつける部分を割り縫いする。
Eファスナー付け・・・ファスナーの色は出来れば縁取りの色と同色がよい。丁寧につける。
F裏布・・・割り縫いしながら丁寧に袋縫いをする。
たかが小銭入れでも、上記のような工程があり簡単には出来ないようだ。 但し、裁縫の心得があれば出来ると言う。
笑顔・お年寄り・健やかD

季節とお年より

寒い日の過ごし方

散歩

暑い日の過ごし方

散歩

・《外気への対応》・

・人間年と共に外気への対応が思うように行なはれなくなる。是は医学的に見ても 致し方ないことだと思う。まして80歳、90歳になれば尚更の事である。回りにおる者が 注意してやらなければいけない。では具体的に如何して上げたら良いのか。 私は以下の事に気を配ってあげる。
・真冬日、出来るだけ家の中にいるのが良いのだが、足腰の為に散歩が必要だ。 服装は、防寒力の強い出来るだけ軽い衣類を選んであげる。昔みたいに綿の沢山 入った衣類は重たい。足腰の動きが制約され、転倒する危険がある。
・散歩など外出時は帽子を必ず着用させる。毛糸で出来た耳まで深々と被れる帽子がよい。頭を冷たい風 にさらすのはよくないと思う。直接風にさらすと母親の場合は急激な血圧の変動が有るみたいだ。
・手袋は必ず着用させる。兎に角肌を冷たい風に極端にさらさない事だ。
・家の中の温度は必要以上に上げないよう気をくばつってあげよう。室温の温度調整 はこまめにしてあげよう。
・帽子は必需品だ。つばの広い麦藁帽子が良い。麦藁帽子は風をよく通すし太陽光を 反射する。
・長袖の汗をよく吸い取る、薄手の木綿のシャツが良い。麻でできた衣類もよいと思う。 直接日光に当てないように、注意してあげよう。
・冷たい飲み物等は程ほどに飲む様に注意してあげる。腹を冷やし過ぎると、必ずと 言ってよいほど、体調を崩してしまう。要注意だ。
・クーラーの涼しい風は体調維持に不可欠だと思う。体調を観察してあげながら適当な アドバイスをしてあげる事が重要。クーラーの調整などはこまめに見てあげる様にする。
お年寄り・健やか・笑顔C

ホームヘルパー

日常生活の手助け

1人暮らしの話し相手

・《上手に利用しよう》・

特定医療法人若弘会

> ・ホームヘルパーは等級別に分けて利用する事が出来る。約二年利用している。
・母親は、月・水・金・日の週四回夕方一時間利用している。
・介護内容は、生活援助を主目的にしている。掃除、買い物代行、が主だ。
・夕方の一時間、風呂の準備をしてもらう。その他に簡単な掃除、買い物などしてもらって いる。
・世間話など、話し相手をしてもらい喜んでいる。
・ヘルパーさんは仕事柄、お年寄りの気持を察するのが上手のようだ。母親の気持を 和ましてくれる。本当に助かる。
・風呂の準備等さることながら、今の母親に不足している事は、人との接触、会話の 無さだと思う。其れを少しでも補ってもらう意味で、訪問介護、ヘルパーさんは大きな 要素だと思う。僅かの介護時間であるが、我々が遣らなければいけない、不足分を 補って頂いているので、心から感謝をしている。

《国への要望》--介護保険法に思う--
・現在の私達家族は、苦しいながらも介護施設への費用を払っていける。しかし我々も その様な年代に、
突入しつつある。是から先どうなる事だろう。
国の方針では、財源 確保の名目で、収入が有ろうが無かろうが、税を平らに徴収すると言う。
本当に 税を納められない人達は、どうなるのだろうか。
・世の中には、訪問介護のような機関を、利用したくても利用できない人達が沢山 いると思う。
このような人達も平らに、平等に利用できるようにする事こそ、本当の 生きた政策ではないのだろうか。
健やか・笑顔・お年寄りB

医療機関

かかり付けのお医者さんを作る

当人の身体の状況、その時その時の精神状態を把握してくれる、かかり付けのお医者さんで あれば、非常に心強いです。

・《母親の医者通い》・

・近くにあるかかり付けの内科医に通っている。二週間毎の診察。
・二週間毎の眼科医の診察。(白内障の術後の治療の為)
・薬の種類が多いので、忘れずに飲むのが大変みたいだ。確実に飲んでるみたいなので 飲み方については口出しをしない。
・母親も自分でやらなければ、の気持で頑張って いるので、世話をやかない。
・たまに投薬された薬を飲みたくない、と言うときがある。 そんな時は、無理に飲ませずに次回診察に行ったときに、先生に薬について必ず聞かす。 其の上で、先生の適切なアドバイスをもらう。
・点滴が嫌いな母親だが、薬が合うと見えて最近は点滴を嫌がらない。
・点滴治療を受けた後は、暫く調子がよさそうだ。
・先生が身体に合う薬を見つけてくれたみたいだ。暫く様子を見よう。

・・お医者さんとの連携が大切だ。・・


・役に立てるような事は、これからも続けて書きます。
ご意見、ご質問など御座いましたら、遠慮なくお願い
致します。・・・・・

「掲示板」

笑顔・お年寄り・健やかA

顔の表情
笑顔

・《調子の悪いとき》・

・声に張が無い。口の中でもぞもぞと言う感じ

・寝間からなかなか出てこない

・怒る。我侭を言う。泣く

・言葉を掛けても返事が無い

・夕方遅くなっても灯りをつけない

《母親の顔色、声の響きで其の日の身体の具合を窺う。》

長い間、年寄りの面倒を見ているので、顔色、声の響きで身体の具合を計り知れる事が出来る

・《そんな時の私の対処法》

・今、お袋が思っている事を聞き出してやる。
・気長に焦らず聞いてやるのが、お袋の 気持を和ます。
・どうしても話したがら無いときは、一度中断する。
・暫くして、また聞いてやる。其の時はもう一段優しく聞いてあげる。
・大概がここで、ぼそぼそと話し始める。
・話し始めたら其の話を否定せず、じっくりと 聞いてあげる。否定は絶対禁物だ。
・兎に角時間を掛ける。面倒くさがらずじっくりと。
・色々話し始めたら、気が和んできた証拠だ。
・人の事も色々言うが兎に角じっくり 聞いてあげよう。
・昔の事を色々言うのはお袋の常だと思って居る。(世の年寄りには共通する事だ。決してボケの始まりなどと、知ったか振りをしてはいけない。)
・昔の話もよく聞いてやろう。
・気持が落ち着いたな、と思う所で、 さ、元気を出そう。と明るく諭そう。
・声に抑揚が出てきたら、もう大丈夫。

・《調子の良いとき》・

・顔に表情がある。声が明るい。
・自分から色々話す。
・冗談をよく言う。
・・この様な調子の良いときほど話を聞いてあげよう。・・
世のお年寄りは寂しがり屋だ。時間の許す限り話し相手になってあげよう。
お年寄り・健やか・笑顔@

お年寄りの健康

《母親の日課》

1人暮らしのお袋、 痴呆など縁遠いお袋、一生懸命頑張る姿に頭が下がる。いつまでも元気で居て欲しい。

・一日の始まり
・私の母親は1人住まいをしている。 私達の、住まいから二分ほどの所に住んでいる。仏壇の守をしてくれている。 母親の毎日の日課を記してみる。
・起床時間(冬)七時頃(夏)五時頃
・身支度、歯磨き、洗顔
・軽い朝食、医者からもらった薬を飲む。
・仏壇に上げるご飯を炊く。仏壇の手入れ
・仏壇の用事が済んだら、朝の散歩に出かける。約十分ぐらい。 (冬、寒いので五分ぐらい)
・散歩から帰ったら寝間に入って一休みする。時間はまちまち。
・洗濯をする。(洗濯物がある時は)
・昼食。医者からもらった薬を飲む。
・午後の散歩。約十分位。
・朝と同様、散歩から帰ったら寝間に入って一休み。
・天気がよくて、気分の良い日は買い物に出かける。
・出掛けた後は必ず一休み。
夕飯の準備。夕飯。夕食後の薬を飲む。
・八時頃風呂に入る。
・就寝

・以上、一日の日課だ・