淡路島の夏《戻》 《次》 蟷螂の岩屋/行者修行の場 ◇2010年10月18日蟷螂窟(とうろうくつ)行者の修行場

洞川・大峰山(奈良県天川村)

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大峰山は修験道者のメッカだ。そして麓にある天川村。名水「ごろごろ水」そして五代松鍾乳洞、或は修験者の修行の場、蟷螂窟などがある
霊峰大峰山が霞む 昔、大峰山は国中の人々から金峯山(かねのみねたけ)と呼ばれていた。母公堂にまつわる言い伝えもある。霊峰大峰山を望む。大峰山修行道入り口にある茶屋からの、大峰山の雄姿。幾多の修行僧を育んだ荘厳な山。山を見つめていると俄かに黒い雲が広がる。大粒の雨が落ちてきた。修行道入り口には多くの信者が入山の準備をしていた(各行場の案内は下の絵を参照下さい。)
霊峰大峰山の各行場説明板 大峰山の各行場の図
・表行場 鐘掛岩(標高1620m)
・表行場 お亀石(標高1640m)
・鷹の巣岩
・表行場 西の覗き岩(捨て身の行)(標高1650m)
そそり立つ絶壁から捨て身の覚悟で身を乗り出し、
仏の世界を覗く修行。命綱を身に巻きつけ疑念を振
り払い、即身成仏を感じ取るという。
・龍泉寺宿坊
・頂上大峯山寺(標高1719m)
・日本岩
  西の覗き岩での行
西の覗き岩で修行する僧侶達
初めての行を勤める「新客」が綱を掛けて岩場から空中へ吊り下げられ、恐怖の中で誓いをたてる。「仕事をちゃんとするか?」「する」
(修行中の写真は2010年8月7日、産経新聞大峰山・入峰修行ルポより)(click)
女人結界門
この女人結界門から先は女人禁制となっている。昭和の初期まで母公堂入口と登り口には大きな黒門があり、明け六つに開き暮れ六つに門が閉じられていた。母公堂は女人禁制の関所のような場所であった。(母公堂由緒より)
大峰山入山道標 大峰山登山口(大峰山道は世界遺産に登録されている。当然のことながら石或いは、草木一本たりとも持ち帰ることは禁止されている。)   母公堂(ははこどう その昔、春の暖かい陽射しが野山に輝いている大峰山へ登る道を歩く二人連れがありました。大嶺の山に篭り日夜修行に励む役(えん)の小角(おのず)「行者」の身を案じて葛城の里からはるばる尋ねてきた小角の母「白専女」(しろとうめ)と役の行者の仏弟子となって洞川の里に住み小角の世話をしている後鬼「妙童」でした。二人は里から半里ほど・・・・・
・・・以来この谷を蛇ヶ谷と呼び女人禁制の結界と定められました。その後この庵跡に堂宇を建立し母公堂(ははこどう)と呼んで母公を祀って来ました。(母公堂由緒より)
母公堂のいいつたえ 大峯山

昔、大峯山は国中の人々から金峯山「かねのみねたけ」と呼ばれていました。春の暖かい陽射しが野山に輝いている大峯山へ登る道を歩く二人連れがありました。
大峯の山に篭り、日夜修行に励む役(えん)の小角(おづの)「行者」の身を案じて、葛城の里からはるばる尋ねてきた小角の母「白専女」(しらとうめ)と、役の行者の仏弟子となって洞川の里に住み、小角の世話をしている後鬼「妙童」でした。
二人は里から半里ほど上ったところにある谷に差しかかりました。谷を渡ろうとしてふと辺りを見ると、一匹の大蛇が岸にトグロを巻いていました。
まず後鬼が谷を渡ろうとすると突然、大蛇は大きな口をあけて後鬼を睨んで行手を遮りました。
驚いた後鬼は思わず後退りしました。今度は母公が渡ろうとしますと又同じように大蛇が行手をさえぎり、母公が後に下がりますと大蛇は元の場所でトグロを巻いて何事もなかったかのようにしています。
しばらくして二人で谷を渡ろうとしますと、大蛇は長い蛇身を一杯に伸ばして、二人の行く手をふさいでしまいます。こんなことを三度も四度も繰返しました。 困り果てた母公と後鬼は不思議なことと思いながらもとうとう谷を渡ることをあきらめて、山登りは後日にしようと洞川の里に引きかえしました。
二人は大峯の山に向かって手を合わせ小角の身の無事を祈りました。
すると一条の光が輝き光の中から「阿弥陀如来」が現れました。そして二人に向かい 「母公よ、後鬼よ、二人が小角の身を案じる気持ちはよくわかります。ありがとう。されど心配することはありません。小角もう唯の修験者ではありません。仏の化身となって衆生を救わんが為に、霊威感得の地としてこの山に金剛蔵王権現を祀り、修験道を開創しようと一心に練行しているのです。お前たちも修行を妨げてはなりません。小角はまだまだ難行苦行を重ねていきます。修行が終わるまで山へ入ってはなりません。小角が下山するまで二人して里の人々を助け仲良くして待ちなさい。」と告げると光の中に消えていきました。
母公と後鬼は今日、谷を渡らせず山に上らせなかった大蛇はきっと「八大龍王」の化身であったのだなと思いました。
母公はこの谷の岸に庵をつくり、後鬼は一生懸命に母公に仕え身の回りの世話をして、行者の下山するのを待ちました。母公は里の人々に仏の教えを説きながら里の女の出産を助けたりしました。
以来この谷を蛇ヶ谷と呼び女人禁制の結界と定められました。その後この庵跡に堂宇を建立し母公堂(ははこどう)と呼んで母公を祀ってきました。 『古い中国の史書で後晋の開運2年(945)から後周の顧徳元年(954)に、僧の義楚によって記された「義楚六帖」によれば、「日本国の都の南、五百余里に金峯山有り、頂上に金剛蔵王菩薩有り、第一の霊威なり山に松桧名花軟草有り、大小の寺百有り、節行高道の者これに居す。かって「女人ありて上ることを得ず」今に至りて男子上らんと欲すれば、三月酒肉欲色を絶つ。曰く菩薩はこれ弥陀の化身五台の文殊の如し』現在からおよそ1000年も前に、中国にまで聞こえた金峯山の霊威は特筆すべきことで、女人禁制が記されている事とこの伝説はなんらかの関わりがあり、大峯山の神聖さを現しています。
昭和の初期まで母公堂入口と登り口には大きな黒門があり、明け六つに開き暮れ六つに門が閉じられていました。母公堂は女人禁制の関所のような場所でした。母公堂には安産を祈る女人達の線香の煙が絶えませんでした。昭和45年に登山口の大橋と洞川間の林道が開発され交通の便も良くなったりして、時勢の変化に合わせ現在の大橋遥拝所まで女人結界が延長されました。

母公堂由緒より 2010年7月31日

2010/7/31・石質案内板 洞川一帯は石灰岩が多く見られる。石灰岩の地層では長い年月の間に雨水や地下水に溶かされ、鍾乳洞ができる。(click) 天川村・洞川の風景 風光明媚な所があちら此方に点在する。写真などの愛好家には、うってつけのロケーションが盛りだくさんの場所だ。云わずとも辺りの空気は最高に旨い。空気も限りなく澄んでいる。川を流れる水は澄み切っていて、まわりを彩る木々の緑はまったく濁りのない鮮やかな緑だ。
天川村・洞川の風景 天川村・洞川の風景
天川村・洞川の風景 規則正しく並んでいる杉の木。無数の杉の木が奥行きを深くする。 天川村・洞川の風景 杉山の中にぽつんと咲いていた。百合に似た花だが葉が百合とは違う。なんと云う名の花なのだろう。HP仲間のchidoriさんに訪ねた。「うばゆり」との事だ。関東地方以西〜四国・九州に分布する。高さは60〜100cm。茎は直立し、輪生状に多数の葉をつける。葉はユリ科としては珍しく幅広いハート形になる。地下にはユリと同様の鱗茎(球根)をもつ。花期は7〜8月。花はユリに似るが緑白色で細長い。「うばゆり」の由来は花が咲く頃、葉が無くなる「姥」になるという所からの名前らしい。
稲村ガ岳の登山口
稲村ヶ岳への登山口、五代松鍾乳洞は稲村ヶ岳の真下にある
五代松鍾乳洞 五代松鍾乳洞の看板はあるが、この場所からは鍾乳洞の見学は出来ない。カーレータ?に乗って約200m山肌を登る。下の写真はこれから登るのかな、帰ってきたのかな。
鍾乳洞からの湧き水 この付近は至る所で岩清水が湧き出て、せせらぎの音が心地よい。以前はこの場所でも取水できたそうだが、現在は取水禁止になっている。 2010/7/31・ごろごろ水由縁 五代松鍾乳洞そして、ごろごろ水命名の由来(click) 赤井五代松、胸像 五代松鍾乳洞の発見者 赤井五代松氏の胸像
五代松鍾乳洞行きのカーレータ ステーションから五代松鍾乳洞までの所要時間は約15分ほど。発動機で動きスリル満点。鍾乳洞を目指して登坂している最中に、「エンジンがストップしたら・・・」とそんな心配が頭をよぎる。でも防止装置は万全と思う。ステーションに帰る時がまたスリル。バックであの山肌を下るのだから。乗客の乗車方向は行きも帰りも同じ向き。子供たちは大喜びだ。 鍾乳洞内見学は僅か10分ほどだが、興味のある方には中身の濃い見学コースだ。見学料金は大人400円、子供200円。だったと思う。
黒滝道の駅 道中に黒滝道の駅がある。この近在で収穫される特産品を買う事ができる。コンニャク、ヨモギ餅、ソバその他色々の農作物が売っている。コンニャクのおでん風煮付けは最高に旨い。辛党には酒のあてにうってつけだ。 2010/7/31・黒滝村道の駅案内板 黒滝界隈のマップ。(click) 黒滝道の駅 この地区特産の工芸品なども見ることができ、興味のある方は堪能できる。
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