ゆっくり歩けば、京都・奥嵯峨の奥深さが見えてくる。奥嵯峨(京都)《戻》

奥嵯峨の秋を満喫/祇王寺/滝口寺/念仏寺

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2011/11/28 奥嵯峨の秋祇王寺を歩く 祇王寺は尼寺である。昔は往生院の境内にあった
2011/11/28・祇王寺(尼寺)

以下説明文は祇王寺パンフより

京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32 嵯峨野の史跡を探るのは、晩秋初冬の頃また晩春の頃がよいとされる。祇王寺は小倉山麗、竹と楓に囲まれたささやかな草庵である。
2011/11/28・祇王寺の庭園

いざよいの 月かくれにし 露の冷え 智照尼

祇王寺の庭園 秋、11月中旬から12月上旬の紅葉が素晴らしい。8月末から9月の嵯峨野の虫、そして月見の里。庭また藪に虫の鳴く、木の間が暮れの月。
祇王寺の庭園 雪景色は二月、霧にけぶる草庵が美しく浮き上がる。落ち葉焚く煙が流れる、冬枯れの小枝に淡雪が、一幅の名画のように美しい。 祇王寺の庭園 平家物語巻頭に、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅雙樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。・・・
祇王寺

大覚寺塔頭のひとつで、平家物語ゆかりの寺。平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前に心移りした清盛に捨てられ、母や妹と出家。後に祇王を追ってきた仏御前も交え、ここで念仏三昧の日々を送ったと伝えられる。

二尊院から暫く道なりに歩くと滝口寺歴史を感じさせる侘寂の 2011/11/28
旧往生院三宝寺 滝口寺 ・以下説明文は滝口寺パンフより 滝口寺 滝口入道と横笛の悲恋の寺、滝口寺は、もと往生院三宝寺といった。念仏房によって創建された「往生院」は、念仏の同情として栄えその境内地山上から広い地域に渡って数々の坊があったと伝えられる。その後、応仁の乱等の数々の戦乱により変遷を経て、後、祇王寺と三宝寺とが浄土宗の寺として残った。
滝口寺 参堂の中程にあるのが、横笛歌石 横笛が指を切って血で歌をかいて帰った石。「山深み 思いいりぬる柴のとの まことの道にわれを導け」 滝口寺 深く覆い茂った竹薮の中にあるのは平家供養塔。滝口入道と平家一門の供養塔。
小松堂 平重盛(小松内大臣)を祀っている。 滝口寺 滝口寺本堂。滝口入道と横笛の木造が安置されている。鎌倉後期の作で眼が水晶(玉眼)。往生院遺物の一つである。
化野念仏寺。境内に祀る八千体の石仏石塔は往古あだし野一帯に・・・2011/11/28
以下説明文はあだし野念仏寺のパンフより。 あだし野念仏寺 化野(あだしの)は古来より葬送の場所だったところ。その惨めさに心を痛めた空海が、五智山如来寺を建立して遺骸を埋葬したのが始まり。毎年8月23日・24日の地蔵盆に石塔や石仏にろうそくを灯す千灯供養がある。
化野念仏寺 楓の間から西院の河原が広がる。境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は往古あだし野一帯に葬られた人々のお墓である。 化野念仏寺 見事に染まったもみじの葉。仏様たちも目を瞠っていることだろう。
化野念仏寺 化野念仏寺入山口 化野念仏寺 あだし野は化野と記す。「あだし」とは、はかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図している。
化野念仏寺 虫塚
西行法師はこう歌っている。「誰とても 留まるべきかはあだし野の 草の葉毎にすがる白露」
化野念仏寺 西院の河原の全貌。 寺伝によれば、化野の地にお寺が建立されたのは、約千百年前弘法大師が、五智山如来寺を開創され、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬したと伝えられる。
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