鬱蒼とした木々の中にたたずむお寺、神社。立ち寄る人もなく、静寂の中に ひっそりと溶け込んでいる。一方参拝する人々でひっきりなしに賑わうお寺、神社と様々だ。心の拠り所お寺・神社を散策する。  金閣寺・六角堂(京都)《戻》 《次》 比枝神社(大阪)  

秋の高野山を訪れる

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平安時代の弘仁10年頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、日本仏教の聖地 2012年11月4日
弘法大師の御廟と灯籠堂がある(世界遺産)。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の橋から御廟までは約2kmの道のりとなっている。その途上には「弥勒石」などの七不思議と呼ばれる場所がある。 (Wikipediaより)一の橋より奥は脱帽、禁煙、飲食禁止、撮影禁止である。
紅葉がみごろに差し掛かった。川面に落ち葉が漂っている 11月中旬までは真っ赤な紅葉のトンネルを楽しめる
お地蔵さんが柔和な笑顔で参拝者を迎えてくれる なんともいえぬお顔のお地蔵様。心が和む
この艶やかな赤の色艶、参拝者が引っ切り無しに訪れる 弘法大師の御廟までの参道は至るところに艶やかな紅葉が
お地蔵様が皆で私達の参拝を待っていらっしゃる 落書きが奨励されていた。楽書塚、らくがきは即ち良久加幾、良いことさらに活力をとあると。花菱アチャコさんの句碑も
結城秀康の石廟。徳川家康の次男である。天正12年(1584)に羽柴秀吉のもとに養子、天正18年(1590)下総大名 結城晴朝の姪と婚姻、結城秀康と名乗り結城氏を継ぐ それぞれの建物が威厳を保つ
水掛地蔵の前では参拝者が熱心にお参りをしていた 真っ赤に染まった紅葉の下を善男善女がこぞって。今年の紅葉は一段と鮮やかだ
安芸浅野家の墓所である。浅野長政の三男浅野長重の家系は、分家
して後に播磨赤穂藩藩主となるが、3代長矩(内匠頭)が吉良義央へ
の刃傷事件により改易となる(元禄赤穂事件)
芭蕉の句碑
屋根の色と紅葉の赤が見事に調和している。奥の院一の橋付近。
豊臣家墓所。墓所の正面に秀吉公とその母公、秀吉の弟である大納言
秀長と夫人などの豊臣一族の墓
肥前島原松平家墓所。島原藩は、肥前国島原周辺を支配した藩。初期
は日野江藩と呼ばれる。
水掛地蔵にお参りをし一の橋から奥の院へ向かう。当日は優しく暖かい光が木々の間から注いでいた。
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