[全画面表示(F11)]  芭蕉の里上野(三重)《蓑虫庵》   学問の神様上野天神さま(伊賀市上野)《天神さま》 

城下町 伊賀上野

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2012年3月20日三重県伊賀市上野。城下町を歩く 

白鳳城とも呼ばれる(模擬天守閣)

上野城(白鳳城) 伊賀文化産業城とも呼ばれている。市の指定文化財である。内堀の高さは日本一とも言われ30メートルを誇る。初代の城主、筒井定次の後に藤堂虎が城主になる。家康の信任の厚い虎は大阪決戦を見据え五層の天守閣の建設を進めた。だが慶長17年(1612)9月2日、当地を襲った大暴風で倒壊した。その後大阪決戦は豊臣の敗北に終わった。五層の天守閣の必要もなくなり、建設も取りやめになった。北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。筒井定次の古城は、現天守が建つ所より東の一段高い小丘に築かれていた。
俳聖殿 松尾芭蕉生誕300年を記念しての建物。屋根は桧皮葺である。 俳聖殿内の大伊賀焼の等身大芭蕉座像 俳聖殿 俳聖殿への入り口。重厚な茅葺屋根の門
立て札 白鳳門の立て札 白鳳門 白鳳門(模擬)。この門を潜り本丸表門跡へ 高さ30メートルの石垣 内堀の石垣の高さは30mと日本一だ。

古い民家をこの場所に移設。忍者屋敷として忍者の歴史を披露する

忍者屋敷 甲賀忍者は主君に忠義を尽くした。だが伊賀忍者は金銭により仕事を請け負った。契約以外のことは一切関わらなかった。伊賀忍者は依頼があれば心を曲げてでも厳酷な任務を遂行した。躊躇せず任務を遂行する強い精神が求められた。伊賀流は百地丹波の開祖。石川五右衛門は百地丹波の弟子とか。
上野西小学校の塀 校舎の外壁を木造。塀は城下町を象徴する造りになっている。 上野西小学校 上野西小学校。外周は木材で施し落ち着きのある姿だ。 伊賀線 伊賀神戸駅から上野市駅を結ぶ電車。単線でのんびりと走る。
城下町 城下町ならではの風情を醸し出す 田舎町 街を歩くと至るところにレトロな光景を見られる 土産物店 格子造りの長屋が軒を並べる。城下町らしく土産物屋があちらこちらに

伊賀盆地

上野風景 上野城公園の堀の上から、上野の町並み或いは遠く伊賀の山々を眺める。
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