鬱蒼とした木々の中に立ち寄る人もなく、静寂の中にひっそりと溶け込んでいるお寺、神社。一方参拝する人々でひっきりなしに賑わうお寺、神社と様々だ。心の拠り所お寺・神社を散策する。 [T]比枝神社・山王宮(大阪)
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お寺・神社を訪ねて

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神社を訪ねて・比枝神社・学研都市線徳庵下車徒歩8分 ・2004/12/11
所在地は、大阪市鶴見区 今津中5丁目5-23
に在る 比枝神社(ひえじんじゃ)という。 当、社の創建年代及び由緒は詳かではないが、境内に現存している古い 灯篭に延宝八年寅申歳、九月十一日三郎兵衛時奉寄進と記されている点 からこの年代に、天照皇大神を御奉祀し創設せられたと想像され、 其の後元禄三年九月に近江の国坂本に御鎮座の日吉神社の御分霊を勧請し奉山王権現と称した。 境内に数ある灯篭に刻まれし文字は風化のため読みにくいが、元禄、寛政、宝暦、寛延の年代 に奉納されし数基の灯篭があり、迹古き鳥居の柱より(子時元禄十七年申申歳中春吉辰奉寄進 氏子敬白)と記されている銅板が見つかり、神社創立を物語る史実の一端を見る事ができる。宮司談
今津の地の近くに綾川が流れており、往古よりこの川を屋形船にて野崎まいりをする人々の発着場があり、 現存する狛犬の台座に「文化十一年申戌歳九月十一日施主大阪島之内高津町播磨屋源衛門寄進」とあり、 江戸時代野崎参りの期間中は遠方よりの参拝者が多いと伝えられる。本社殿は安永五年建立され、明治 の初めに「上の宮」と「下の宮」の二社を合祀し、その時一部改築がなされ、昭和三十年代屋根を銅板に替え 昭和五十年代には拝殿の大修理及び境内の整備を為し、さらに平成四年には向拝を造営、末社を改築 した。その折末社の地よりスサノオ鳴命の霊が現れ(弘化二年乙巳歳三月十五日奉祀)と記されている。 明治二年山王権現より比枝神社と改称した。
本社殿・click
現在は本社殿は参拝できない。入れないようになっている。 本社殿の廻りの腰板はケヤキの一枚板で造られている。大人2人でやっと手が回る 程の大木らしい。修復には何億という費用が懸かるらしい。 NHKも撮影に来たとのこと。神社・お寺等に興味のある方で近くに来た際は是非立ち寄って欲しい。 宮司さんのお話が興味深い。
約300年前の灯篭
延宝八年寅申歳、九月十一日三郎兵衛信時という人が奉寄進と記されている。
神社を訪ねて・山王宮・2004/11/23 BACK
所在地は、大東市新田6−10に在る
山王宮(さんのうぐう)という。神社だ 祭神・・大山咋命(ぐいのみこと)近江の国滋賀県 日吉神社の系統らしい祭礼は毎年10月20日ダンジリが2台引き回される建立は享保2年(1717年) との事
270年の風雪に耐えたが昭和59年に氏子衆によって立替新築になった 改築前の棟札に享保2年と記されていたといわれている 2004/11/23
うららかな日和の境内、静かに 時を刻んでいる。近隣の人達がたまに通るだけ。周りにの家々の人達は 何処に行ったのだろう
休日なので閑散としているのかな 祭礼の時はどれほど賑わうのだろうか
来年の祭礼には是非来てみたい
新田と言う呼称は、当時の既存の集落に対して新しく開拓された土地 しかし、豊臣秀吉の太閤検地を受けておりその時点での新田村である その開拓の起源は、戦国期に遡る
と、記されている。