鬱蒼とした木々の中に立ち寄る人もなく、静寂の中にひっそりと溶け込んでいるお寺、神社。一方参拝する人々でひっきりなしに賑わうお寺、神社と様々だ。心の拠り所お寺・神社を散策する。  比枝神社(大阪)《戻》 《次》 一休寺(京都)  

お寺・神社を訪ねて/野崎観音(大阪)

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野崎観音お祭り風景(5月1日〜5月8日)2012/5/5  
お寺を訪ねて・野崎観音・学研都市線野崎下車徒歩10分 ・2005/2/28
野崎観音
所在地は、大阪府大東市野崎2丁目7の1に在ります。 野崎観音は、福聚山(ふくしゅうざん)慈眼寺といい曹洞宗のお寺です。1300年程前インド僧が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いたハラナによく似ている」と行基菩薩に申されたので 、観音様のお姿を彫りこみこの地に安置されましたのがこのお寺のはじまりです。慈眼寺「光割 牒(ちょう)」に、「観音像は行基菩薩の手彫りなり、長谷の観音像と同木也」と書かれています。
野崎観音 楼門(南門)
桜の季節は素晴らしい光景になります。
幾多の戦乱の為荒れ果て、ほとんど焼失。本尊の観音様だけが 残りました。長い間、小さいお堂のままでおまつりしてありましたが、元和2年(1616年)青厳和尚がこのお寺を復興され、元禄宝永ごろに「野崎参り」が盛んになると共に、お寺も栄、現在に到ります。
野崎観音
 お染久松の塚
〜観音様を、かこつけて、逢いに北やら南やら、お染は思い久松の、あとを慕うて、野崎村〜
この比翼塚の前で久松をお染にゆずって、堤の上にしょんぼりと立ち尽くした、許婚のおみつの涙を偲ばれるのもまた、一情緒かと存じます。(click)
 由緒・click
鐘楼・梵鐘は、1708年鋳造のもので(枚方住田中河内大目藤原家成)の銘があります。 「野崎の鐘のつきっ放し」といわれいつ、ついても構わないのですが、連打は火事の知らせなので厳禁です。
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寺宝・涅槃図絵(野崎観音パンフレットより お釈迦様の回りに皆集まって悲しんでいます。人はもとより万物の生けるもの皆がが見守っています。(管理人の想像です。)詳しくは野崎観音のHPへ お釈迦様はインド北方の民族である釈迦族カピラ城の王子様でした。釈迦族の優れたものを表す釈迦牟尼世尊(釈尊)または釈迦牟尼如来と呼ぶのが正しいのだそうですが、一般的にはお釈迦様と言われています