京都中京区/紫雲山頂法寺・聖徳太子建立の六角堂。北区/鹿苑寺(金閣寺)・足利三代義満の建立
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お寺・神社を訪ねて/烏丸六角堂 / 鹿苑寺(金閣寺)

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京都・烏丸六角堂は京都のど真ん中、華道家元 池坊 小野妹子 2010年4月4日

六角堂は聖徳太子建立。本尊は如意輪観世音菩薩で、聖徳太子の護持仏で六角堂建立以後に、本尊として祀りその守護を小野妹子に命じた。
六角堂にある庭園。色々な表情のお地蔵さんが訪れる人々を迎えてくれる。

京都烏丸・六角堂
京都烏丸界隈

烏丸通りから一筋北に入るとのんびりとした光景が広がる。六角堂に向かう途中の桜。桜花の蜜を求めるスズメ。なんとも可愛い。

池坊の水場で遊ぶ白鳥

池坊の敷地内には白鳥たちがのんびりと遊ぶ。

紫雲山頂法寺・西国霊場 長徳二年(九九六)年正月花山法王当寺に行幸される。これが西国巡礼の始めで、当寺は現在西国第十八番の霊場である。また後冷泉天皇諸国の大寺に、仏舎利一つずつを納められるにあたって、当寺より始められたと伝えられ今も舎利塔が現存する。裏手には池坊のビルがそびえる。

六角堂

親鸞聖人は毎夜比叡山より当寺本堂に百日参籠された。その九十五日目の暁の夢で、当寺ご本尊より「法然の許へ行け」との示現を得た。このお告げによってまた再び百日参籠され、法然上人の許へとかよった。「行者宿報設女犯・我成玉女身被犯・一生之間能荘厳・臨終引導生極楽」の偈文を授かり、これによって日本に新しい救いの教えである、浄土真宗を開かれたのである。このお姿は比叡山より当時本堂に参籠参され、また再び比叡山にお帰りになろうとされているお姿である。六角堂パンフより

へそ石

桓武天皇延暦十二年(七九三)京都へ遷都の時、六角堂の所在道路の中央に当たったので、天皇が遷座を祈願されたところ、御堂が俄かに五丈ばかり北へ退かれたという。この石はその際取り残された礎石であると伝える。また京都のほぼ中央に当たるところから「へそ石」とも「要石」とも呼ばれている。

京都・世界遺産金閣寺が春の陽射しを浴び鳳凰が燦然と輝いている 2010年4月4日
世界遺産・金閣寺

鹿苑寺(ろくおんじ)(金閣寺)は臨済宗相国寺派の山外塔頭寺院で、平成六年(一九九四)に世界文化遺産に登録された。
足利将軍三代義満が応永四年(一三九七)に営んだ山荘・北山殿を、義満の没後、禅寺に改めたもので義満の法号「鹿苑院殿」にちなんで鹿苑寺と名付けられた。
お釈迦様の骨を祀った舎利殿「金閣」が特に有名で通称金閣寺と呼ばれている。
金閣は「法水院」(ほっすいいん)と呼ばれる寝殿造りの初層、「潮音洞」と呼ばれる武家造りの二層、「究竟頂」(くっきょうちょう)と呼ばれる禅宗仏殿造りの三層から成り、公家文化と武家文化を折衷した建築様式は、北山文化の象徴とされる。
二層、三層は漆塗りの上に金箔が張られ、屋根の上には中国の伝説の鳥鳳凰が輝いている。
初層に義満公座像と宝冠釈迦如来像が、二層に岩屋観音座像と四天王像が、三層に仏舎利がそれぞれ安置されている。
昭和二十五年(一九五〇)に放火により焼失したが、昭和三十年(一九五五)に再建され、昭和六十二年(一九八七)に漆の塗り替えや金箔の張替え修理が行われた。
壮大な池泉(ちせん)回遊式庭園は、特別史跡及び特別名勝に指定され、金閣を写す鏡湖池(きょうこち)の北方には、萩の違い棚と南天の床柱で名高い茶室・夕佳亭(せっかてい)がある。
金閣寺由緒より

野だて光景

ゆったりとお茶をすするのもよし、歩き疲れて汗ばんだ肌に春の風が心地よい。

陸舟の松

陸舟の松(りくしゅうのまつ)足利義満公遺愛の盆栽を移し、帆掛け舟の形に仕立てたと伝えられる五葉の松であります。樹齢は約六百年。陸舟(おかふね)の松ともいう。

安民澤・白蛇の塚

安民澤・白蛇の塚
白蛇は弁才天の使いなり、芸能福徳を与えられる神で家運を盛んにしてくれます。ここは繁栄を極めた西園寺家の旧跡です。池に浮かぶのが白蛇の塚だ。 案内板より

厳下水

厳下水
義満公お手洗いの水

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